人生で一番好きなドラマは何ですか
と聞かれたら、このドラマを挙げるかもしれない。
「流星の絆」とか「白い春」とか「マイボスマイヒーロー」とか…「火花」も「俺の話は長い」もすごく良かったけど、真っ先に思い出す作品はきっと。
2016年に観て、毎週すごく感動したのは覚えていたけれど、今再放送しているのを観ても、毎回泣いてしまう。
今日観たのは、最終回ひとつ前の回だ。
主人公の音(有村架純)は、レン(高良健吾)に、今まで誰にも話せなかった母を火葬した日の夕暮れの色の話をする。「今まで誰かに話したかったんだけど、ちゃんと伝わらない気がして」言えなかった、と。
そして、あたし号泣。笑
わかる。わかるよ。って。
職場でのちょっとした話を報告しあう場面でも泣く。そうそう、こんなんで、いや、こういう感じがいいんだよな、と。
そして、自分の抱えるどうしようもない孤独について考える。
ニュアンスのちゃんと伝わりそうにない微妙な、でも誰かに話したい、誰にも話せていない話が多すぎるのだ。
世の中の人は一般的に「明るい人」が好きだと思う。分かりやすくて、快活で、健康的な人。
私も、公的な場ではそういう人間に寄せているし、それが社会的な礼儀だとも思う。
しかし、それは非常に一面的な明るい自分を拡大させているだけで、本質的な自分の大部分は別にある。そこを誰かに理解してほしいのだけど、その相手がほぼいないのだ。(たまに会う親友2人は少し分かってくれている)
人間、30歳にもなれば色々あるだろう。
でも、それでも、相手に背負いきれない負担を与えてしまう重みが、私の中に多すぎる。
親との不仲、自分の病気、身内の自殺、友だちの自殺、拒食症の頃の話、自分の自殺未遂…その出来事ひとつひとつのニュアンス。
別に重い気持ちになってほしいわけじゃないし、これはこれとして、そういうことがあったんだと認識してほしいだけなのに、そういう人はあまりいない。
話せば雰囲気を悪くしたり重くしたりするし、かといって同情されたり説教される気もない。この、ニュアンス。
まさに「正しく伝わらない気がして」。
「そうだったんだ」てすごくナチュラルに受け止められるのが、ドラマでは音ちゃんにとってレンくんだった。
私は今日も孤独な自分を自分でなぐさめている。