瓶文通信

鯖寿司と天ぷらが好き。

2018北海道旅②(20180906)

 6日午前3時過ぎ。激しい揺れと非常灯の光に照らされて目を覚ました。とりあえず飛び起きたもののどこにいれば安全なのか分からず、部屋の入り口でうずくまって時間が過ぎるのを待った。しばらくして本震はおさまったものの何度も何度も余震は続き、また非常灯を消すこともできず(ホテルの元電源から消さないと消えないのだと思う)、明るすぎる部屋で布団をかぶって目を閉じるといつの間にか眠ってしまった。深夜4時頃に一度目を覚ましたが、その頃には照明も消えていた。

 6日朝8時、よく晴れた太陽の光で目を覚ます。スマートフォンを見ると充電中になっておらず、別のコンセントにさしていたタブレットや音楽プレイヤーも充電されていない。顔を洗おうとすると水が出ない。眠たい頭でやっと「停電」の文字が浮かんだ。もうアラサーだけど、停電も断水も大きな地震も初体験で何ひとつピンと来なかった。5階の部屋からフロントまで階段で降りると、ちょうど従業員がバケツに水を入れて宿泊客に渡してるところだった。どうやら従業員スペースには水の出る水道があるらしい。私も一つバケツの水をもらい、重たいながらも5階までなんとか上がる。部屋までどうにか水を運び、顔を洗い、トイレを流し、化粧をする。やっと落ち着いて窓を開けると青々とした空にカモメが飛んでいて、爽やかで心地よい風が吹き込んだ。停電も断水も忘れて温かな気持ちになり、チェックアウトぎりぎりまでこの窓の景色をデッサンしたりして呑気に過ごした。

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 10時頃チェックアウト。コインロッカーに荷物を預けるために駅に向かってやっと、「これは大事かもしれない」と感じた。駅は停電の影響で運休・閉鎖。信号がつかないので警察が慣れない様子で交通整理をしている。それでも私は、今まで生きてきた中で災害にあったことがなかったし、停電でテレビを見ることもできず、スマホの充電不足でニュースも見なかったので、状況を把握しておらず楽観的に考えていた。ホテルに戻って荷物を預け、楽しみにしていた小樽運河沿い町を歩くと、ほぼ全ての店や資料館の扉に「臨時休業」の文字が貼られていた。開店していたのは、ガラス細工店と、海鮮丼の店、革細工のお店、六花亭の四店舗だったと思う。特に六花亭の建物は窓が少なく、暗がりの中で焼き菓子や土産物だけ売っていたのが印象的だった。中国人団体客に混ざって私もいくつか焼き菓子を買い、近くのベンチ食べた。この日初めての食事だ。喉が渇くが、停電で自販機も使えない。強い日差しの中で熱中症が心配で、公衆の水飲み場を見つける度に少しずつ喉を潤した(今思えばこの水飲み場が断水していなかったのはラッキーだった)。水を飲むとトイレに行きたくなる。しかし、お店が開いていないから入れるトイレもない。運河沿いの公衆トイレをのぞくと全ての便器が、使ったまま流されない(流れない)状態になっていた。

 12時頃、町を一通り歩き終わって駅に戻ると状況は全く変わっていなかった。駅員は拡声器で運休を伝えており、バスの係員も「今日はおそらく動かない。従業員も半分以上自宅待機を命じている」と教えてくれた。駅前には行き場のない観光客が何人も地べたに座り込んでおり、この頃やっと開店した駅前スーパーは大行列、セブンイレブンは入場制限での営業をしておりこちらも行列をつくっていた。どうにもならずにホテルに帰ると同じような状況の宿泊客が朝食スペースに集まっていて、和やかに情報交換をしたりお菓子やバナナを分けてくれた。ホテルの人がどこからか氷の入った冷たい水を持ってきてくれて、少し落ち着いた。

 13時過ぎに仙台から観光に来たおじさん3人組が車を手に入れてきて、そこに甘えさせてもらって一緒に札幌に向かった。高速に乗ると、あれほど遠く感じた札幌には30分ほどで到着してしまい、そのわずかな時間の中おじさんは朝からほとんど食べていない私にあんパンを食べさせてくれた。私も少しでも役に立ちたくて、どうにか車内を明るい空気にするよう努めた。話してみると、60過ぎのおじさん3人組には余裕も知識もあり、頼りになった。彼らのうちの1人は地震が起こった直後に、近くのコンビニに走って食料と水を確保したというのだから、そのまま眠ってしまった私と比べると危機管理において雲泥の差だ。そのおかげで、私もあんパンを食べることができた。感謝。

そこまで大きな災害だと思っていなかった私は、札幌に着けば翌日には通常通り観光したり美味しいものが食べられたりすると思っていた。しかし、都市部は小樽よりも混乱しており、行き場の無い観光客や光らない信号が印象的だった(これを観てホドロフスキーの「サンタ・サングレ」を思い出した。地獄の次もさらなる地獄が待つばかりなのだ。)。おじさん達にはアパホテル駅前店で降ろしてもらった。懐中電灯を一つくれて、お互いの無事を願ってお別れした。そういえば名前も連絡先も聞きそこねてしまったが、本当に感謝している。

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 私が予約していたのは、すすきのからバスで30分ほどの距離にある、真駒内アパホテル。普段はアパホテル駅前店とを行き来するホテルのシャトルバスか、地下鉄と市バスを乗り継いで向かうことができる。ひとまずアパホテル駅前店に入ってみると、暗がりのロビーの両端にはパイプ椅子がぎっしり並べられていて、どの席にも疲れ果てた観光客が座っていた。ホテルの従業員にシャトルバスのことを聞くと、30代のお兄さんと50代くらいのおばさんが今にも泣きそうな顔でバスの運行はできないこと、真駒内への交通手段は準備できないこと、システムがダウンしていて予約状況の確認を取ることが出来ないのでこちらに宿泊するのも難しいことを教えてくれた。朝から対応し続けていたのか、ホテルの従業員は皆かろうじて涙が流れていないだけでもうほとんど泣いていると言っていいような面持ちだった。この姿を見てやっと私は「これは大きな災害なのだ」と気づいた。小樽は停電、断水しているといっても、人口密度も低くホテルの宿泊客も「仕方ないからもう1泊」といった雰囲気で、従業員も落ち着いて宿泊客の食料の確保などに当たっていた。それに比べると札幌は異様な雰囲気で、暗がりのなかで鳴る小型ラジオが「これは災害なのだ」と主張しているように見えた。今思えば、小樽からフェリーに乗った方が安心だったかもしれない。

 とにかく、アパホテル札幌駅前店従業員のおばさんが言うには真駒内アパホテルまで道は単純なので2時間弱の道のりになるが歩くしかないとのことだった。その上で、可能であればタクシーを捕まえる。加えて最後に、「私ならヒッチハイクします。お客様(の容貌)ならきっと乗せてもらえます。ただし、絶対に女性のドライバーさんの車にしてください。こういう状況ですので、何が起こるか分かりません」と言われた。つまりは、強盗やレイプなどのことを示唆しているのだ。仕方なく、私は6日分の荷物を担いで真駒内方面へ歩き始めた。

 道中のセイコーマート(北海道ローカルのコンビニ)で烏龍茶を1本買ってから歩いていると、すぐに客が降車するところのタクシーを見つけて真駒内まで乗せてもらった。料金にして2590円。車窓からじっと道中を眺めていたが、とても大きな荷物を持って歩けるような距離ではなかったと思う。途中、大量の車が止まっており渋滞しているのかと思ったら、ガソリンスタンドへの大行列だった。

 真駒内アパホテルのフロントは、まだ明るい時間だというのに、窓が少ないせいか真っ暗だった。従業員が印刷された予約簿を懐中電灯で照らしながら、必死で確認している。宿泊料は個別に対応できないからか、一律5000円だった。あてがわれた部屋は13階。暗闇の中で階段がどこにあるかも分からず、階段を見つけても大きなリュックを背負って登る13階分の階段はあまりにも大変で、10階にたどり着いたころにはちょっと泣きそうだった。なんとか部屋にたどり着くと、そこにはやっと大きな窓があり、光が差していた。多分、16時くらいだったと思う。

 到着時のホテルは「停電しているが水は流れる」状況だったが、断水もいつ行われるか分からないとのことで、急いで水しか流れないシャワーで髪を洗い、汗を流し、なるべくトイレに行った。風呂を済ませて断水に供えて湯船に水を溜めている頃に、ちょうど断水が始まった。スマートフォンの充電も30%くらいで、この先いつ電力が復旧するのか分からないので、電源を切ることにした。することもなく、かといって定期的に訪れる余震のなかで平常心も保てず、不安を感じながら部屋に置いてあったアパホテルの社長の自伝漫画なぞを読んでしまった。六花亭で買ったお土産の一部をあけて少し食べながら、先ほどのセイコーマートで飴くらい買えば良かったと後悔しながら、疲れもあり、眠ってしまっていた。18時頃に目を覚ますと町はもう暗闇の中で、窓の外でちらほら動く懐中電灯の光がまるでゲームや海外ドラマで観たゴーストタウンのようで恐怖を煽った。犯罪が起きかねない雰囲気を感じて、何度か部屋の鍵が閉まっていることを確認した。することもないので、眠ったり、キンドルで漫画を読んだりしていると、19時過ぎに電気が復旧したというアナウンスが入った。各部屋で次々に明かりが着いて、ホテル中が拍手と安堵の声に包まれる。これで充電もできる。テレビも観られる。情報を入れることができる。こんなにも光が人を安心させるなんて、この夜まで私は知らなかった。